ヒエラルキー(リライト)

「この就活講座、毎年女性が多いんですよね~。やっぱり女性は依存しやすいからなんですかね。あ、ここ笑うところですよ。何人かすごい表情になった人いますけど。」

「こういう講座とか、みんな企業に情報行きますからね。今回も気に入った人は報告しますんで。ほら、勘がいい人は何人か反応を返してくれるようになった。」

「面接のとき、聞かれたこと以外は答えないでくださいね。きいてないことまで喋ってくる人は落とされますよ。女性に多いんですよね。あっここ笑ってほしいんですけど。勘がいい人は笑ってくれますね。」

圧迫面接でわざとこうやって意地悪なことをいうこともあるんですよ。それで学生がむっとしたらこりゃダメだ、って落とすんです」

無料の就活講座に行ったときにこういう人がいた。就活に関するタメになる知識ももちろんあったけど、それよりも就活の気持ち悪さというか、社会の気持ち悪さを目の当たりにした衝撃が大きかった。

女性が依存しやすいとか、べらべら喋るとか、性別で一括りにして話してくるのは、百歩譲って目をつぶるとする。その人個人の意見だからとりあえずどうでもいいし。

でも、そういう発言に対して「笑うとこ」だとか「勘がいい人は笑う」とか、「むっとしたら落とす」とか、内定のために学生の行動を制限して強要してくる気持ち悪さには目をつぶっちゃいけないと思う。その言葉に惑わされてその人に気に入られようと、笑い始める学生が結構いたんだけど、洗脳みたいで怖いなと思った。

「気にいられたら内定に繋がるんだから笑う方が賢い。うまくやるべき」と思う人もいるかもしれない。だけど違和感を押し殺してみんなが笑うようになってしまったら、誰もこの違和感を変えることはできなくない?相手がおかしいことを言っているのに、それに対してむっとすることを禁止するなんて変じゃない?



この人の言う「勘のいい人」という言葉は、本当の意味での賢さではなく、「使える消耗品」のことだと思う。それをあたかも「そういう選択をするほうが頭がいい」って思わせて、「私のほうが偉いんだから私に合わせて」って学生の行動を制限しようとしてたあの空気感は本当に気持ち悪かった。



学生のうちはそもそもヒエラルキーから離れて生活することが簡単だったけど、これから企業に入ったらそれぞれの「立場」が与えられるから離れることは難しい。でもだからって「偉い人」に全部合わせる必要はないでしょう?

「現実をみるべきだ」って思う人もいると思う。だけどその現実ってほんとに変えられないものなのかな。そんな現実嫌ではないのかな。それが本当に当たり前であるべきなのか、考えるべきだと思う。「偉い人」が言っていることが本当に正しいのか、そもそも「偉い」ってなんなのか考えるべきだと思う。

就職講座のあの人も、気づいていないだけなのかもしれない。きっかけがなかっただけなのかも。「笑え」っていう強要に対して違うリアクションをとる、そのひとつで社会は変わると思うんだ。




余談ですが、冒頭の就職講座のときアンナチュラルの第三話が頭に浮かびました。状況は違くても自分の生活との共通点があって、ドラマの普遍性を実感しました。すごい。







リライトメモ:
今回の気持ち悪さの原因は、不必要なヒエラレルキーにあったと思う。行動の強制はいじめも、悪い独裁政治にも繋がることかもと思った
アンナチュラル第3話と、誰が為に働くの回が繋がる?
私も、就活講座のあの人と企業を括ったような書き方だったから企業のほうは消した。
あと、あの人が悪いんじゃなくて気づいてないだけかもって思い直した。思い直す必要があったかどうかわからないけど。

「就活」の気持ち悪さ

「この就活講座、毎年女性が多いんですよね~。やっぱり女性は依存しやすいからなんですかね。あ、ここ笑うところですよ。何人かすごい表情になった人いますけど。」

「こういう講座とか、みんな企業に情報行きますからね。今回も気に入った人は報告しますんで。ほら、勘がいい人は何人か反応を返してくれるようになった。」

「面接のとき、聞かれたこと以外は答えないでくださいね。きいてないことまで喋ってくる人は落とされますよ。女性に多いんですよね。あっここ笑ってほしいんですけど。勘がいい人は笑ってくれますね。」

圧迫面接でわざとこうやって意地悪なことをいうこともあるんですよ。それで学生がむっとしたらこりゃダメだ、って落とすんです」

 

無料の就活講座に行ったときにこういう人がいた。就活に関するタメになる知識もあったけど、それよりも就活の気持ち悪さというか、社会の気持ち悪さを目の当たりにできた。

 

女性が依存しやすいとか、べらべら喋るとか、性別で一括りにして話してくるのは、百歩譲って目をつぶるとする。その人個人の意見だからとりあえずどうでもいいし。

でも、そういう発言に対して「笑うとこ」だとか「勘がいい人は笑う」とか、「むっとしたら落とす」とか、内定のために学生の行動を制限して強要してくる気持ち悪さには目をつぶっちゃいけないと思う。その言葉に惑わされてその人に気に入られようと、笑い始める学生が結構いたんだけど、洗脳みたいで怖いなと思った。

 

「気にいられたら内定に繋がるんだから笑う方が賢い。うまくやるべき」と思う人もいるかもしれない。だけど違和感を押し殺してみんなが笑うようになってしまったら、誰もこの違和感を変えることはできなくない?相手がおかしいことを言っているのに、それに対してむっとすることを禁止するなんて変じゃない?

この人の言う、「勘のいい人」という言葉は、本当の意味での賢さではなく、企業が売り上げをあげていくために「使える」消耗品のことだと思う。大げさに聞こえるかもしれないけど、大多数の人たちが「勘のいい人」になれば、企業は反発もされずに搾取し続けることができてしまう。「笑え」っていう強要に対して、笑わないという選択肢をとることがどれほど大きなことか、それで社会が変わっていくのにと思う。

 

私はまだ働いていないし、どこの内定をもらったわけでもないから理想論なのかもしれない。就職してから書くべきなのかもしれない。「現実的に考えるべき」とか思う人もいると思う。だけどその現実ってほんとに変えられないものなのかな。そんな現実嫌ではないのかな。それが本当に当たり前であるべきなのか、考えるべきだと思う。「偉い人」が言っていることが本当に正しいのか、そもそも「偉い」ってなんなのか考えるべきだと思う。就職活動って、ただ奉仕する企業探しではなくて自分のやりたいことをやる場所探しが前提でしょう。働くために生まれたわけじゃないのに、消費されるためにする「就活」はおかしいと思う。

 

大学で、当たり前に対して疑ってかかるってことを学んできたけど、就活はそれを実践する場所だと思う。確かにへその曲がった学問だけど、曲がる必要があるなら曲がるべきだと思う。違う視点で観ることで救われることはたくさんある。

社会不適合とかあるけど、そもそもその社会に適合する必要が本当にあるのか考えるべきだと思う。

 

熱くなってしまったけど、こんなこと思う人はたくさんいると思うけど、書きたくなってこんなに書いてしまった。

 

こんなに書いたけど私自身、人に面と向かって嫌だと言えないことが多い。流されて笑顔でいることは楽だと思うし、嫌だ!って声に出して流れに抗うことは私もあんまり得意じゃない。それならまずは流されもせず、抗いもせずに「何もしない」っていう選択をとるのも一つの手だと思う。抗わないことは逃げていることかもしれないけど、波に呑まれないっていう選択をまずするべきだと思う。

 

 

 

余談ですが、冒頭の就職講座のときアンナチュラルの第三話が頭に浮かびました。状況は違くても自分の生活との共通点があって、ドラマの普遍性を実感しました。すごい。